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学校への不信感 [2008年10月]

学校への不信感 [ボクの事]

きょうの授業参観の様子を、ちちに話した
すると・・・

『やっぱりな・・・』

①ボクのやる気度・・・
 
☆ちゃんと椅子に座って出歩くことはなかったが
   教科書や筆記用具を机の上に置いていない
 
 ☆黒板を見てノートに取らない
  
 ☆先生や、お友達の発表の話を聞いていない
  
 ☆発表をしない(これは無理かな・・・)

  
これらについてはもう一度見直して
家での教育をしていくこと
家でやれる事はやってみよう!ということに。

②学校側の体制・・・
  ☆教科書も無く、
何もしていないボクの近くにまわって来ても
   一言も声をかけず(無視かいなーーーーー!!!)
  ☆机の上にはなぜか水筒を置いているのに何も言わず
  ☆後ろを向いても注意しない
   (他の子にはしている)(無視かいな!)

私は 放置 と思った
    放棄 とも思う

私は学校には感謝しているが
まいどのこんな薄っぺらな対応に
不信感ばかりがつのってきてしまい
いい加減、平常心を失いそうになっている
学校には学校の言い分があるのだろうが。

今夜も、ちちとの話し合いで
お互いに口調も強まり、
子供達にもついつい語気が荒くなる

(いけない、いけない[あせあせ(飛び散る汗)]

と、心の中では反省しても

学校への不信感、やるせなさ。

①給食を食べなくて おなかを空かせて下校してくるボク

②授業参観での放置

③明日の授業の予定帳だって書けずにいて 全教科書を毎日持ち歩く

④運動会では 徒競争以外は無理そうだからと 不参加の了承

⑤校外学習の動物園も 最悪の場合は、学校での自習の了承

⑥クラスの生徒の人数が奇数のため ボクの机はひとり

結局、ぽっつんと一人席

等など・・・・・・

ただ、以前と違うのは
前後と右の本棚が無くなっただけ
ちちが、こんな風に基地のように囲うのは

【いじめだ】 

とまで言って嘆いていた
しかしこうすると
本人の気持ちが楽になるようで
先生方がこういう配置にしたのはそんな理由あっての事で
こちらの了承も当然とってきてこうなったのだが・・

何もかも
了承、了承、って、何[exclamation&question]
(今現在6年生ですけど、
ここまで 了承を取ってきた先生はいないね)

私は連絡帳にこう書いた

『ボク、みんなと同じように二人ずつの席がいいな。
 だって一人だとさみしい。』
と、言っていますが、何とかなりませんか?

すると、すぐにボクと話をして3人席になったようだが
そのすぐあとになって、
教室の仕切りの都合で
結局ボクだけ
また1人席、
一番後ろになった。

結局、1人ぼっちって???

その後も、私に

『一人はさみしい。。。』

と、訴えていました。

一番後ろなのだから、
3人席でも余裕あるじゃん!!
今日、授業の様子を見て、そう思った

今までの ボクへの対応
を考えていると
私は本当に泣きそうになる

こんなこともおっしゃっていた。

 『もっと大変なお子さんもいるんですから。』


 『ずっと1人に(ボク)かかわっていることも出来ませんので』 

チーンって感じ。


よく言った!! ですね、ほんとに。


ボクの理解度が低く、 集団生活に困難をようして
一日、一日が、いっぱいいっぱいで
すべて皆と同じように出来ないのは仕方がないと思う

でも、出来るように仕向けるような
工夫とか、配慮とか 

ってしてもらえないのかな、と思いましたね。
残念ですね。

前後するが、あの診断書を提出した意味は?

【学校での支援が必要です】

と、お医者さんが書いて下さったが、
支援どころか、
出来ないことには はなっから参加もさせてもらえず

グレーゾーンの子供達が
増えてきているこの世の中
ついてこれない子は置いて行く、
あるいは、すぐさま支援学級のある他の学校へ、
では、私達親の不信感が増してしまうのも
不思議ではないと思う


いずれにしても
連絡帳を書く気が無くなってしまった、などと
たわごとを言ってる場合じゃなかった

我が子を守れるのは
最後には
私達 親しかいない

学校とはこれからも
真っ向から闘っていかねばならない

※思い込みは私達も危険だと思っているので
 今度の面談の場で学校側の意図をしっかりと
 聞いてきます

特別支援って? [2008年10月]

特別支援って 何? [ボクの事]

夕方、学校より電話があった
今度の校外学習についてのお話だった

『もしも、当日どうしても行けそうにないと
言うのであれば
支援の先生と
学校内で読書などしていてもらおうかと
思っているのですが・・・どうでしょうか?』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、校外学習について

〝今月は2年生の 校外学習 があります

場所は 動物園

目的は
①電車、バス等公共交通機関の利用の仕方を学ぶ
②電車やバスの車内でのマナーや、動物園での社会道徳を考えた過ごし方・・・(むずかし[あせあせ(飛び散る汗)]
③秋の自然に親しみながら友達との交流を深める

ボクは割と行く気満々
だったので(先週の時点で)
先週末に下見がてら家族で行ってきましたよ~

学校で行くように 
歩いて→電車→バス→歩いて・・・

は、無理なので車でちゃちゃっと行ってきました

以前から何度も訪れていますし、
学校へ上がる前には友達家族と
電車→バス→歩いて・・・
で、行ってきた事があります
ボクは覚えていない様子ですが
行ってみると、なんとな~く
思い出すかも[グッド(上向き矢印)]

3連休中とあって
そりゃもう
混みこみ

格安だしっ[るんるん]

お弁当持って、楽しいひと時を過ごしてきました[ぴかぴか(新しい)]

校では、連日のように、この校外学習について 時間を掛けて指導しているようです

ボクは仲良しのお友達が一緒のグループみたいで
班長さんも しっかりした子
 (しばらく母子登校していたので私も知っています)
しおり も持って帰って来て
見せてくれました

だんだん、日が近づくにつれて不安になってるのか?
少々 後ろ向き・・・
な感じもしますが、
当日に照準を合わせて
気持ちを低下させることなく
いい気分でその日を
Xデーを迎えられたらいいな
と思っています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



先生は言葉を選び選び 
失言の無いようにという感じで
話をして下さった

私とちちは 《大丈夫だろ~》
と、思っていたのだが
先生から見て 《無理かも知れない・・・》
だったのだろう  
(で、電話してきたのでしょう)

2学期に入り、最初の3~4日は母子登校していたが
その後は、≪一人でも大丈夫≫
 と言って
休まず学校へ行き 
私は付き添っていない
なので、学校での様子は本人申告以外、
まったくもって
ナゾ

ボクの友達の学校では
(ボクとは別の小学校)
先生が一人一人の連絡帳に
今日の出来事などを
毎日書いて下さるそうだ
そのお友達は学校での話をあまりしないし、
話してくれても チンプンカンプン
 ってお母さんが嘆いていたけど
担任の先生が、事細かに連絡帳に記してくださるから
助かるわっ
と、言ってた事を思い出した

ボクこそ、学校での様子ってやつを
知らせて欲しいのに・・・
それによって家での対処法も
変わってくるのだが・・・
学校の方針もあり
生徒も多くって、大変だろうけど、
じゃあ、何のための支援かいな
支援って、いったい何なの?

3組さん(少人数学習)
の時は私も率先して連絡帳を書いていた
とても親身になってくれたので
3組の先生宛てに。
しかし、
ボクが 『もう、3組には行かない!』 と言った時点で
その連絡帳は終了した

なぜかって
普通学級に戻るのであれば
そこでの様子は担任の先生に・・・

って、なった訳で
私もそう思ったのだが
ペンを持つ気にならなった

先生は
いつも忙しそうだし、
ボク一人ばかりに構っていられない
一生懸命なのは見ていてわかるのですが
今まで連絡帳のやり取りをしてきた中で
いまいち誠意が伝わってこないと感じて

結局私が、担任の先生にお便りを書く気が
失せてしまっていた

連絡帳で様子を伺わなかった私も悪かったなと
反省してるのですが・・・

  《学校と家との連絡を密に》
なんて 
今の状態では
到底無理でしょう
想定外いや
想定内だったかも・・

近所の方にこの話を聞いてもらうと
(その方の息子さんもボクに似ている所があったらしい)

『私の息子が6年生の時の先生はね、
 出来る子、出来ない子をはっきり二分してね、
 出来る子をひいきしてかわいがって
 出来ない子には何もしてくれなかったわよ。
 〝技量〟がなかったんでしょうね。』

とお話をして下さった

郊外学習の件も
少し心配な子達を一番最後のグループにして
先生が付いて行ったら(まぁ若干離れて)
楽しく行って来れるんじゃないの?
って思ったけれど・・・
たった一人の為に
そこまでできない??

ちちは 動物園へ一緒に行って、一緒に行動する
そのグループへ
ボクが入ったいきさつを聞いて
①ボク自身が入りたかったグループでは無かった事、

『お願いお願いお願い!!』

と、そのグループの子達に
昼休みとかもずっと頼まれて
②断れず入ってしまった事、
その時先生は、その状況を見ていて
知っていたが(電話で聞いた)
子供たちがどうするのか任せ、
ボクがいつもボクの意見を伝えるのが苦手で困っているという事も先生はよく知っていて
言いたい事も言えず我慢して辛くなってしまう、
ってことも先生は理解してくれてたうえで
子供たちに任せたのであれば
最後まで信じて任せて欲しかった とは、ちちの気持ち
こんな間際になって
やはり心配になって・・・
なんて電話をくれて せっかく本人も
その気になっていたのに
出鼻をくじくようなことをされて
なんでだ[むかっ(怒り)] 
とちちは珍しく怒っていた

運動会の事も 
徒競争を無事にクリアすると
その後
“体調不良で帰ります”と伝えると
 
『はい、わかりました』

って二つ返事で簡単に返事が返ってきたけど
もう少し頑張ってみない?
とかの言葉もなく
まったくそんな気持ちがないようだったって
逆に 居ない方が都合がいい みたいな感じに
思えた、って
このことにも ちちは激怒していた。

今日の学校からの電話だって

 “えーっ、そうなんだ!!”

ってことばかり[exclamation]
今日給食を食べてこなかったって事は
ボク自身から聞いていたが
(2学期に入ってから、3~4回位
 お昼寝をしてしまって食べてこない日が過去にある)
電話での先生の話しによると 

【本人に聞いたら『いらない』と、言ったので片づけました】
はぁ???

何だか これが普通になってしまってて
連絡ももらえない[むかっ(怒り)]

こっちが連絡帳を書かなければ
向こうも知らせなくってもよいのでしょうかね[exclamation]


以前、『学校にさえ連れて来ていただけたら
あとはもう 私達に任せて下さい』
と、言って下さったが

【アスペルガー障害】という診断が下った今は
任せられないのでしょうか?
【アスペルガー障害】と診断され、

≪学校での支援が必要です≫

とまで、補足されていて
学校まで私が一緒に登校し
そのあとは、学校に任せていた
校外学習の間際になって
行けなかったらどうしましょう、って
困った感じで電話してきて・・・[むかっ(怒り)]


電話の最後に、

『これから3年生に向けて御両親がどのように
 お考えなのかまた話し合いのお時間を持ちましょう』

って・・・
あんたがどう考えてんだ、って聞きたいね。

休まず毎日学校へ行ってても
授業にも参加せず
ただ教室に居るだけ

調子がいい日は
椅子にちゃんと座っている
な~んにもせず(本人申告)

調子が悪い日は
椅子の下にもぐって(ボクの安心する場所)
スヤスヤお昼寝[眠い(睡眠)]

この辺の様子は大体分かっていたが
ボクにとって

この普通学級内に居る事だけで、 今のボクにはこれが精一杯

なんだと
私も、ちちも思っているし
1学期を思えば 今の現状って
少しずつではあるが進歩していると思う
良く頑張っていると、
ちちもははも今はそれで充分だと思っている
先生にもそこの成長は見て欲しい思いで伝えたが
先生は先生でボクの様子を毎日見ていて
感じる事、思う事、これからの事、があり
心配して下さってる(?)かも知れないが
先生方こそ、この先ボクの事をどうしていこうと
考えているのか、こちらが聞きたい
もう少し、
ゆったりとした気持で見守って頂きたいと 思ってはいけないですか?


結局。
診断書を提出しても
何も改善されませんでした。
学校には感謝していますが
仕方ありませんね。
この時の担任の先生は 技量のない先生だった、ってことで。


骨折の新記録。 [2008年10月]

ケガ [ボクの事]

前回、ボクの病気について書きましたが
今回は《ケガ》の事を書こうと思います。
ボクは今、小学2年生です
保育園の年中児(5歳)のある夏
(急性小脳失調症になる少し前です)
園で公園へお散歩に行った時です
園から、私の勤め先へ電話がありました[電話]
ボクが腕をケガしたと・・・
公園で、遊んでいて右腕を骨折
保育園の先生が慌てて病院へ連れて行って下さりました
突然の電話で驚きましたが、
病院へ連れて行ったというので
それほど慌てることなく、
きりのいい所で仕事を切り上げ、
早退しました

園へ迎えに行くと痛々しく石膏を巻いたボク
ははの迎えを待っていました
まず、それが1回目

それから、1年後・・・
家での出来事です
またまた夏、家の中でかぶとむしを飛ばして遊んでいると
かぶちゃんは壁をずんずん登って
天井の方へ行ってしまいました
それを取ろうとボクも階段を伝って手を伸ばしました

“ズッテーン”

もうそりゃあ転げまわって大泣きです[もうやだ~(悲しい顔)]
そのうち
みるみるボクの唇は青ざめていきました
そして、

『ねむい・・・・・』

おいおいだいじょーぶかー[exclamation]おーい[exclamation]

相当痛かったようです
こんな時人間って
痛みを和らげるために
体内でメラトニンとかいう物質が分泌され
眠くなるとか・・・
(ちちが言っていましたが間違っていたらごめんなさい)
そのまま眠らせたのですが、
みるみるうちに右腕が(またしても右腕)
腫れ上がっていくので
いよいよ救急へ行きました
やっぱり骨折していました・・
これが、2回目

更に1年後。
小学校1年生の春
今度は、学校にて右足(またまた右側)の甲を負傷
若干腫れたので整形外科へ行くと

『骨折しています』

またぁ
そうです、3年連チャンで
骨、折っています
今年になって
今のところ大丈夫ですが
記録、更新中[ー(長音記号2)]

相変わらず、
転んでばかりで、小傷は絶えませんが・・・

その後。
また、骨折りました[たらーっ(汗)]
学校の授業中に
椅子に膝を抱えて体育座りをして
ちっさくなっていると、
隣の席の仲良しのお友達が

『ねーねーねー〇〇クン~[exclamation]

と、ボクの体をゆすった拍子に
そのままの体制で
そのままバッタン!!と横に倒れ、
鎖骨を骨折・・・・・[ふらふら]

なんとまあ、おまぬけな話でしょう?
これが3年生の時の事。
今、あの時の事があたしの中で
鮮明に思い出され(笑)・・・。

今では
ボクの伝説
の1つとなっています[あせあせ(飛び散る汗)]

ママ友に聞いた事があるのですが、
【危険意識が低い】
って事
これも障害の症状みたいです
けど、
元気いっぱいの小学生ですから
たまたまケガが続いただけかも知れません?

急性小脳失調症になった日 [2008年10月]

急性小脳失調症という病気 [ボクの事]

以前、別のブログに載せていたものです。

※この病名をキーワードに検索されてこちらへお越しいただいている方がとても多いので
その当時の事を思い出しながら 付け足してみました。最近(2015年5月)ほぼ毎日のようにこのキーワード(病名)でこちらへ来られる方がものすごく多く、この病気ってそんなに多いのかな!?とびっくりしています。この記事だけ、桁外れの閲覧数です。ボクの場合こうだった、という記録で、お一人お一人の症状も違うかも知れません。が、同じような御病気で不安でいらっしゃる方に・・・ 少しでも参考になれば幸いです。


2005年、11月。
ボクが保育園の年中の秋(5歳)
ちょうど七五三の時期です
ボク五歳、ヒメ三歳
その七五三のお祝いをして、間もなくの事です

いつものごとく、リビングをボクとヒメとで
走り回っていました
その様子を微笑ましく家族で見ていると・・・
ボクがやたらと 転ぶ?

ん?

たまたま?

それにしても
やけに何度も転ぶなぁ・・・
ちちもははも同じように感じたので
ボクを呼んで

『ちょっとこっち来て、走ってみて』

すると・・・・
あ・れ・・・?
力が抜けたようにしゃがみこんでしまった

ちち・・・『どうした?』

ボク・・・『立てない』

全員・・・『えぇーっ??』

ボクはへらへらして言うので
まったぁ~冗談をぉ
と、思ったのですが、
本当に立てないみたいなのです
どういう事[exclamation&question]
私達も半信半疑で
腕をもって無理やり立たせるのですが
腰砕けって感じ
ボクは半分笑っているし、
マジなの?
って感じでした
上半身は何ともないので
赤ちゃんに戻ってしまったかのように
それからはハイハイで移動

次の日にかかりつけの小児科へ行きました
すると、

『えー?甘えてるんじゃないの?』

って先生も半信半疑
まぁ 一通りの簡単な検査みたいな事をして下さったが
(内診はもちろん、あちこち、触ったり、ハンマーみたいなもので叩いたり、)
所見では何も分からず
近くの総合病院へ紹介状を書いて頂き、
その足で総合病院へ行きました

そこでも、内診して、座った状態で
膝をハンマーのようなもので叩いて
反応を見たり(脚気の検査?)と同じような検査から始まりました
ハンマーで叩くと、足は反応してぴょんと上に上がります

主治医はお若い女の先生で、M先生

次に血液検査をしました
結果が出るまで少々時間がかかりました

その間、主治医M先生と 
どんな症状が、いつからか とか
いろいろと話をしていて
先生も、うーん・・・なんだろう・・・と首をかしげるばかりでした

そこで他の小児科の先生にも来ていただいて(中年の男の先生)
ボクの様子をみてもらいました

広い所で 

先生・・・ 『こっちへ歩いてきて』

ボクは歩こうとしますが グラグラして
すぐにしゃがんでしまいます

次に、ボクの人差し指で
先生の鼻を触り
自分の鼻を触る・・・

これを何度か繰り返させるのですが
どうもずれてしまい、鼻を触れないのです
(以前ドラマであった【1リットルの涙】でもこのようなシーンがありました)


1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫)

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そしてその男の先生と主治医のM先生・・・
なにやら話していました

結果が出るまで、しばらく待合室で待たされました


しばらくすると血液検査の結果が出て
総合的な判断が出ました

『入院です』

ええぇーっ[exclamation×2]

と言う訳で
すぐに入院になりました

(何なの、一体??)

『このような症状が出る前に熱が出たとか何か変わった症状がありましたか?』

と聞かれ、

『そういえば、数日前に一日熱が出てすぐに下がりました』

と言うと
そうですかー

???

どうも その時に 

《マイコプラズマ》

という 細菌の一種に感染していたようなのです
この微生物によって起こった肺炎を
《マイコプラズマ肺炎》といって
小さなお子さんをお持ちの方は
聞いた事があるかなぁと思います

血液検査で 何かの数値が異常だった
らしく、そこで初めて 原因が分かったのです

それまでは、原因はさっぱり分からず、
ただただ

甘えてるのでしょう

ですからね[あせあせ(飛び散る汗)]

その時、ボクは マイコプラズマ肺炎をおこしたわけではありません

この菌が直接そういった症状を引き起こす訳ではなく、
この菌が体内に入ってきた事で
ボクの体が、初めはこいつと闘っていたのに
その闘っていたボクの良い菌が、今度は何らかの形で
ボクの小脳を攻撃し始めた
との説明でした
この説明で分かるでしょうか・・・?


補足・・・小脳の働き 小脳には歩行に関する機能や頭を動かしたりする機能、また、手足の協調運動を司っています。 脳幹と密接な関係にあり、絶えず情報交換を行っています。飛行場の管制塔のような役割です。


当時あまりよく理解できなかったのですが
要は本来自分の身を守るべき良い菌が
何らかの異変で自分の体を攻撃し始めた との事です
(本来敵ではない自己細胞を敵と勘違いして攻撃してしまう)

おそらくその マイコプラズマという細菌が引き金になって
このような症状が表れたようなのです

当時はこんな病気聞いた事もないし
(小脳失調症って・・・この先どうかなっちゃうの)
って不安で不安で
ちちがネットで調べては
最悪な情報ばかり集めていました
【お先真っ暗】とは、本当に このこと
この時ばかりは毎日毎日、落ち込んでばかりでした

ボクはまだ5歳だったので母も一緒に入院生活でした

この病気は特別な治療を必要としない、との事で
歩けないけど“ハイハイ”で移動出来るし
個室だったので、ははと毎晩
ゲームボーイアドバンスのポケモンピンボールをやったり
病室の隣は子供達が遊ぶスペースになっていたので
ボクはハイハイで、そこへ行き
本を読んだり ボールで遊んだりして
毎日過ごしました

寝込むような症状も全くないし
ただ歩けないだけで 他は元気だから
ただ ただ 月日が経つのを待って過ごしていました

そして周りの補助で 少しづつ
歩けるようになってきたので
自宅安静との事で
大体1か月程で退院できました

とはいえ、自力では歩行できないので
保育園は年内は休園したのでした

私達は本当にこの先どうなるのか
とても不安で仕方有りませんでした

しかしその後、すっかり元に戻り、
普通に歩いたり走ったりしています


それと。
この病気による影響が
今のボクのアスペの引き金になっているのでは・・
と言う思いも少しだけあるのですが・・
(ネットで調べていたら稀にある、
と、それらしき事が書いてあった)
どうなのでしょう?

病院の先生方は 病気と障害は関係ないよ
とおっしゃっていました。

入院した総合病院では 
この急性小脳失調症は
年に1件あるか、ないかの
病気だそうです。

今現在は、その後遺症も全くなく、
体は元気いっぱいです[わーい(嬉しい顔)]

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